京都で八ッ橋騒動
京都みやげと言えば、すぐに思い浮かぶのが「八ッ橋」です。もっとも最近では餡をくるんだ生八ッ橋の方が人気があるようです。現在15社が八ッ橋を製造販売しており、業界団体として京都八ッ橋商工業組合があります。5日、この銘菓八ッ橋の創業を巡って創業1805年の「井筒八つ橋」が不当表示だとして、「聖護院八ッ橋総本家」を京都地裁に訴える騒ぎとなりました。
八ツ橋の起源については、琴の名手だった八橋検校にちなんで琴の形をモチーフに作られ、検校の名前を取って八ッ橋の名前になったとの説がありますが、良く判っていません。ところが、有力メーカーの一つである「聖護院八ッ橋総本家」が、創業を元禄2年、1689年としてホームページなどに記載していました。「聖護院八ッ橋総本家」は創業に関する資料については一切明らかにしていません。これに対し、京都八ッ橋商工業組合は根拠がないとして記載を取り止めるように要求し、2017年には京都地裁に中止を求めて仲裁を申し立てましたが、聖護院側の不同意によって物別れに終わっていました。
1689年創業説は、もう一社、「聖護院八ッ橋総本家」の向かい側で営業する「本家西尾八ツ橋」も1689年創業を謳っており、その根拠として文政7年に熊野神社に奉納された絵馬に「八ッ橋屋為治郎」の名があることを挙げていますが、文政7年は西暦1824年で、「井筒八つ橋」が主張する1805年よりも19年も後なので、創業を裏付ける資料としては役に立たない気がします。
さて、実はこれに似た話が、当地静岡県にも存在します。それは安倍川餅です。安倍川餅は静岡市の名産として広く知られていますが、発祥は慶長年間(1596~1615年)と言われています。安倍川餅に関しても、家康や綱吉が好物だったとの話があったりしますので、東西を問わず有名人にあやかりたいのは同じかも知れません。現在、安倍川餅の元祖を名乗っているのが創業が文化元年(1804年)と主張している「石部屋」(せきべや)です。発祥が慶長年間であれば、それから200年ほど経ってから元祖を名乗るのも、いかがなものかと思いますが、老舗であることは確かです。
それにしても発祥が江戸時代前期でありながら、今に残る業者の創業が文化年間と言うのは何か訳がありそうで、興味をそそられます。
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