石垣の修復は大変
丸亀城の石垣崩壊は、ある程度予感されたことですが、有効な対策が打たれなかったことが大変残念です。城郭における石垣の崩壊は今に始まったことではなく、江戸時代にも大雨や地震などによって発生し、その都度修復されて来ました。従って悲観することはないのですが、元あった姿に戻すのは大変な労力を要します。
地震による城郭の被災と言えば、熊本城が思い浮かびますが、戦後すぐに発生した福井大地震(1948年)では丸岡城の天守が倒壊していますし、2011年の東日本大地震では複数の城で被害が出ています。
修復が完了した石垣です。白く見えるのが新しく補った石材で、広い範囲で石材が破損したことが覗えます。
再建された石垣に残る墨入れの跡。修復作業では、地震前の写真を基に個々の石材があった位置や角度などを検証し、できるだけ以前の姿に近くなるよう修復されました。
こちらも修復された石垣です。まるでモザイク模様のように石材が積まれています。
工事の方に聞いた話では、小峰城に使われている石材は、一般の物と比べて少し軽いそうで、その分地震の揺れに対して弱かったとのことです。
弘前城では、膨らんでしまった石垣を一旦解体し、改めて積み直す修復工事を行っていますが、10年がかりの大工事です。写真は工事前のものですが、石垣の日陰の部分の中に太陽が当たっている部分が確認できます。そこだけ陽が当たっているのは、大きく膨らんで飛び出しているからです。
最近見つけた浜松城の石垣に張られたマーカーです。市の担当者と話す機会があったので、これについて確認したところ、やはり石垣の監視用に測量するためのもので、相当以前から実施しているが、今のところ安定しており、問題はないとのことでした。
明治の廃城例で、多くの城ではせっかく残っていた貴重な建築物の多くが取り壊されてしまいました。それでも残った石垣がそこに城が存在したことや、その規模、作られた年代などを歴史の証人として語り続けています。後世に引き継ぐために、保全・修復には万全を期して欲しいものです。
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