丸岡城天守は江戸時代の建造と判明
福井県坂井市にある丸岡城の天守は石の瓦で葺かれていることで有名ですが、現存する12の木造天守の中で最も古い年代に築かれたと考えられていました。ところが、最近になって坂井市教育委員会が、柱などの木材を使って年代を測定した所、1620年以降に伐採されたものであることが明らかになり、造営された時期が寛永年間(1624~44年)であることが特定されました。丸岡城天守は建築様式や石垣が野面積みであることから、これまで江戸時代以前に築かれたと考えられていました。
丸岡城の天守です。
丸岡城の天守が江戸時代に下がってからのものだと判りました。では改めて最古の天守は、と言うことになりますと、答えは国宝の松本城乾小天守(いぬいしょうてんしゅ)と言うことになり、築造年は天正19年(1591年)もしくは文禄3年(1594年)と推定されます。天守が現存する12城の大半が、磨かれた石垣の上に華麗な天守を誇っていますが、これには理由があります。
松本城の天守、小天守、月見櫓です。
江戸時代以前の戦国時代は、いつ敵が攻めてくるか判らず、のんびりと城造りをしている余裕はありませんでした。大きな城を作るよりも兵力を増強して戦に備えたり、隣国に攻め入って領地を拡大することが領主たる大名に求められたことでした。しかし、関ヶ原の合戦で西軍が敗北し、徳川家の支配が確固たるものになると、大名は領地の経営に心血を注ぐようになります。そして、支配者としての権力を領民に誇示するのに利用したのが、高い天守を備えた堅牢な構えのお城でした。姫路城も名古屋城も、現在ある城は関ケ原の戦い以後に築かれたものです。
丸岡城天守が最古のものではないことが明らかになったことは大変残念ですが、それでもかなり古い時期に建てられたことは間違いありませんので、今後も大切に保存されることを、ひたすら願うのみです。
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