最高裁の唯我独尊
最高裁が、2014年に発生した女子児童殺害事件で、一審の裁判員裁判での死刑判決を破棄した二審判決を支持し、被告に無期懲役を言い渡しました。裁判員裁判で死刑の判決が出ながら、二審で破棄される事例がこれまで5件ありましたが、裁判員制度の意義を根底から無視する暴挙で、司法の前例主義、事なかれ主義が強く押し出された判決と感じます。
我が国の裁判、特に殺人事件では殺された被害者の数が重要視されてきました。これは連続射殺事件の犯人の名前から永山基準と呼ばれ、永らく判決の際の指標とされてきました。しかし、法律が殺人罪の最高刑を死刑としているのに、被害者が一人であることを主な理由に死刑を適用しないのは、おかしな話です。この事件の被害者も帰宅途中の小学1年生の女子児童で、犯行は悪質で、遺族も極刑を望んでいました。
裁判員制度は、司法の判断が、一般市民の量刑感覚と大きく乖離しているとの批判を受けてスタートしました。しかし、折角市民が貴重な時間を提供して慣れない裁判に参加し、悲惨な犯行現場の写真や証拠物件と対峙しているのに、世論から批判を受けた裁判官の側が制度の趣旨を全く理解しようとせず、相変わらずの前例主義を貫く姿勢を固持しているのは国民に対する重大な背信行為ですし、裁判員の判断を軽視する姿勢が透けて見えます。法務省はこのような事態を放置せず、早急に改善策を講じるべきで、さもなければ裁判員制度が形骸化するばかりです。
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