浜松城発掘調査で新たな成果
浜松市は今夏、二か所で浜松城の発掘調査を行っていました。一か所は旧元城小学校跡の二の丸部分、もう一か所は国道152号線を挟んだ東側の浜松いわた信用金庫の駐車場、かつて三の丸があった場所です。旧元城小学校の発掘は元々予定されていたものですが、駐車場の方は、新たに建物を建てることになり、それに伴う緊急調査でした。いずれも、発掘の経過について浜松市からの報道はなかったので、進展について気になっていたところ、昨日になって、駐車場跡から堀跡が見つかったとの報道がありました。
浜松市が報道関係に発掘現場を公開したようで、現場の様子が動画で紹介されていました。桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、自由の身となった家康は、逆に三河から遠江に侵攻し、今川の配下であった引間城を攻め落としました。しかし、遠江支配の拠点としては小さすぎたため、直ぐ近くに新たに城を築き、浜松城と命名したのでした。家康は引間城を完全には破壊せず、浜松城の一部として活用しましたが、堀はその過程で埋められたようです。
引間城と浜松城の位置関係です。絵図は上が南となっています。 遠州浜松城絵図(国立公文書館所蔵)を加工。
発掘では陶器の破片などが見つかっており、戦国期のものと見られています。浜松城跡は国指定の史跡とはなっていませんので、恐らく調査の後は埋め戻されますが、建築工事の過程で遺構は失われることになってしまうのではないかと思われます。
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