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2019年11月29日 (金)

中曽根康弘氏が死去

本日、中曽根康弘元首相が老衰のため入院先の病院で死去しました。101歳でした。中曽根氏は、1947年に29歳で衆議院議員に初当選以来、連続20回当選を果たし、56年に亘って衆院議員を務めました。1957年には早くも第二次岸内閣で科学技術庁長官として初入閣を果たし、その後も運輸、防衛、通産大臣などを歴任し、1982年に第71代内閣総理大臣に就任しました。

中曽根氏と言えば、「不沈空母」発言などタカ派のイメージがつきまといますが、政治家としての実績や評価はさておき、初当選以来総理大臣就任を公言し、総理になった暁には何をやるべきか、常に手帳にその内容を記していた政治姿勢を私は高く評価していました。最近も、初入閣を果たした議員が、マスコミの取材に対して「これからしっかり勉強します」などと話すのを見聞きするたびに、自分のやりたいことさえ判っていないようでは議員失格ではと思えてなりませんで。

議員を引退しても、政治活動は続けるとしていましたが、90歳を越えても弁舌鋭く諸問題を語る姿は、最近の頼りない議員に爪の垢でも煎じて飲ませたいほどでした。昨今、ポスト安倍について語る時、残念ながら存在感のある政治家の名前が思い浮かびませんが、中曽根氏が総理を目指していた時代、総理候補の頭文字を取って三角大福中(三木・田中角栄・大平・福田・中曽根)と呼ばれ、5氏が競い合っていました。現在はドングリの背比べの感がありますが、当時は我こそはと言って、それぞれが切磋琢磨して、誰が就任してもおかしくない状態でした。時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、巨星落つの感は否めません。

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