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2020年9月21日 (月)

憲法9条って、国民の命よりも大事なのか?

昨日の中日新聞に、「専守防衛を穿つ安保法」と題した社説が掲載されていました。要約すると、自衛隊の海外派遣や集団的自衛権を批判し、敵基地攻撃能力の保有を憲法9条に違反するから許されないとするものですが、その一方で、現行憲法に抵触するのなら憲法を改正すべきとは、述べられていません。これは、大変おかしいのではないかと感じました。

中日新聞が、言論機関として自社としての意見、論説を主張することは認めます。しかし、9条至上主義とも言える姿勢はおかしいのではないかと考えます。現行憲法は占領下に米国の手によって起草され、我が国の国会で議決されたものです。第二次大戦で、沖縄を始めとして全土を焦土と化し、多くの国民が命を失いました。そのような中で、もう戦争は懲り懲りだとした憲法が多数の支持を得たのは、ある意味当然のことだったかも知れません。しかし、当時の戦争は、相手の国土に侵攻し、砲撃や銃撃によってあいて領土を占領するやり方でした。このような中で憲法9条は成立したのですが、しかし、その後の軍事技術の進歩によって、戦争のスタイルは大きく変わりました。

太平洋戦争では、軍用機を国産で量産し、当時としては最新鋭の空母や潜水艦を保有しながら、我が国は米国本土を直接攻撃することができず、はるか手前のハワイを奇襲するのがやっとでした。しかし、現在では空母を保有していない北朝鮮でさえ、自国から米国本土にミサイルを撃ち込むことが可能となっています。このような状況で、専守防衛を力説しても、果たしてどれだけの説得力があるでしょうか。領海・領空は起点となる海岸線から22.2kmまでの範囲です。昔は軍艦からの砲弾が届く距離が20Km程でしたので、相手の領海近くまで進出しないと攻撃できませんでした。しかし、現在では弾道ミサイルや巡航ミサイルで、自国に居ながらにして好きな時に好きな所を攻撃できるのです。

このような中で専守防衛に徹するということは、敵の攻撃を甘んじて受けることになりますが、その結果、多数の人命が失われる事態を招くこととなります。戦争の惨禍によって作られた憲法を堅持することによって、座して死を受け入れろと言うのは実に奇妙な論法だと思います。中日新聞は、国民の生命よりも、ただの条文に過ぎない憲法の方が大事だと言うのでしょうか?

この世の中に、変更を一切許さない規則や決まり事などあり得ません。もし、一切の改定を認めない規則があったのなら、その規則は無効です。憲法の理念が、平和を希求し、国民の生命財産を守ることであるのなら、その目的を達するためには、随時状況に応じた改変が必要となる筈です。いたずらに70年も前の憲法に縋りつくのではなく、現在の国際状況を反映した条文に改定すべきだと考えます。

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特に意味はありませんが、ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」です。

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