2018年8月 8日 (水)

浜松城第24次発掘調査 その2

今日は仕事が休みだったので、前回確認できなかった発掘の様子を見るために、暑さのピークを過ぎた3時過ぎに浜松城を訪れました。

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いつも午前中に登城することが多いのですが、午後の時間はいつもと光線の状態が違うので見慣れたアングルも新鮮に映ります。

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早速天守曲輪の発掘現場に向かいました。日差しを避けるため、トレンチの上にはテントが張られていました。

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現場を覗くと、何やら石積みが見えました。早くも遺構の発見かと思われましたが、どうも石積の方向が不自然です。周囲には水道管や電気のケーブルが埋設されていました。

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現在掘っているのは天守門南側の出隅(ですみ)の内側部分です。

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こちらは山形城にあった巽櫓の発掘時の写真です。(下段左側)天守曲輪は当時の地表より2.5mほど埋められていますが、櫓の基礎部分は現在残っている石垣と同一だったはずなので、かなり浅い部分に残っていなければなりませんが、破却されてしまっている可能性も考えられます。

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天守門の外側から見た出隅部分です。

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本日の発掘成果です。お宝発見かと、作業の方に聞いたところ、比較的浅い部分で見つかったので、近代のものである可能性があるとのことでした。この場所には、以前茶屋が建っていたことが判っていますので、撤去した際の残留物の可能性が考えられます。

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いつもと光線の状態が違うので、天守曲輪西側の石垣を狙ってみました。石垣が湾曲しているのが判ると思いますが、これを輪取り(わどり)と言ってアーチ型にすることで崩落を防止する技法です。

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天守門南側の石垣ですが、こちらも輪取りの技法を使って石垣が築かれています。

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井戸跡から見た浜松城天守。私が立っている場所も、今後発掘して天守に関する埋蔵物が残っていないか調査することになっています。

浜松城に関しては未だ判っていないことが多々ありますが、今回の発掘で、少しでも謎が解明されることを期待します。

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2018年8月 5日 (日)

浜松城第24次発掘調査

この春、浜松城天守曲輪の発掘調査で地下から石垣と大量の瓦が見つかりましたが、この度この成果を受けた発掘調査が始まったので、現場を見て来ました。

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浜松城公園駐車場に工事の予定が掲示してありました。

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今日は日曜日なので、発掘はお休みでしたが、ブルーシートの下にトレンチが掘られているものと思われます。場所は天守門の見学通路入り口脇です。

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もう一カ所は天守曲輪南東隅の少し西よりの所です。手前のシートは掘り起こした土砂などと思われます。

まだ、発掘開始から間もないので、それほどトレンチの深さは深くないようです。今回の調査では、前回発掘された瓦以上の埋設物が発見されることが期待されますが、果たしてお宝が見つかるのか、興味は尽きません。

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さて、今回の発掘調査に先駆けて周囲の伐採が行われていました。これまで天守曲輪南側は雑木が生い茂って石垣が良く見えませんでしたが、御覧のようにすっきりした景観となっています。

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こちらが伐採前です。アングルが多少違いますが、天守左側方向に樹木が茂っていました。

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伐採は天守曲輪南西側でも行われていて、同様に石垣が見やすくなっていました。

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この部分の石垣下部についても発掘が予定されていますので、成果が楽しみです。

※8月5日追記

文化財課が発掘予定地点を公表していました。今回の発掘予定ヶ所は以下の通りです。

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2018年7月30日 (月)

名古屋城木造再建計画に暗雲

名古屋市は2022年12月に名古屋城天守を木造で再建する計画を立てていますが、その実現に黄信号が灯ってしまいました。河村市長が30日の定例記者会見で明らかにしたところによれば、7月中に文化庁に提出予定だった基本計画について提出を断念したと言うことです。

天守の木造復元には、文化庁の許可が必要で、名古屋市は、31日までに、木造化の基本計画を文化庁に提出する予定でした。しかし、、7月20日、市の担当者が基本計画を提出するため文化庁を訪れたところ、石垣の保全方針について、専門家の了承が得られていないことを指摘され、提出を断念したということです。文化庁は「石垣部会の了解が必要」と主張しているようで、現段階で市側と石垣部会との間で意見の集約はできていません。

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第二次大戦中に空襲で焼け落ちたため、戦後鉄筋コンクリートで復元された名古屋城天守。

元々天守とその石垣は一体のものでしたが、一旦建物が消失してしまうと石垣が新たな文化財となってしまうために、石垣を別個のものとして保全を考慮しなければならなくなっていまいます。とは言っても、天守あっての石垣なので、なんとか双方の折り合いをつけて、一丸となって再建に突き進んで欲しいものです。

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2018年7月22日 (日)

浜松城石垣の謎

浜松城については、これまで幾度となく当ブログで取り上げて来ましたが、日々新たな疑問が沸き起こるので、いつも無い頭を捻っています。今日は何故家康は浜松城に石垣を築かなかったのかについて考えてみます。

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復元前の天守門跡から見た浜松城天守。

今日では、浜松城の石垣は家康の後に城主となった堀尾吉晴によって築かれたと言うのが定説になっていますが、浜松城の石垣は野面積みと言うこともあって少し前まではこの石垣は家康時代に築かれたと考えられていました。

しかし、遠州・三河地方に本格的な石垣を持った城が築かれたのは、家康が今川館の跡に駿府城の築城を始めた1585年以降で、秀吉の命により堀尾吉晴や山内一豊が浜松城や掛川城に石垣を築いたのは更にその後の1590年に入ってからでした。その間、家康は信長の安土城その他の城を見ていますので、石垣造りの城についての知識は持っていた筈です。遅くても本能寺の変(1582年)の直前には、信長に招かれて安土城を訪ねています。

更に驚くべきことに、家康の配下だった奥三河の鈴木重愛(しげのり)の居城だった市場城(豊田市市場町)は家康が駿府城を築く前の1582年頃に石垣を持った城に改修されています。

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市場城の櫓跡の石垣(手前側)と本丸下の石垣です。

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二ノ丸北側の石垣。石垣の角は算木積みの手法が取り入れられており、最新の技術が用いられていたことが覗えます。今日見られる石垣の多くは、関ヶ原の戦い以降に築かれたものが多く、それ以前にこのような大名ではない武将の城が石垣が築かれたのは大変珍しいものです。このように山間の城としては珍しい石垣を持った市場城でしたが、家康の関東移封に伴う関東への転出を拒んだために改易され、1592年に廃城となってしまいました。

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弘前城に残る土塁です。石垣以前はこうした土塁で城の守りを固めるのが一般的な築城のやり方でした。家康が築き、拡張した浜松城もこうした土塁で築かれており、北条が最後まで立て籠もった小田原城も当時は土塁の城でした。

重愛が石垣で城を改修したことは当然家康も承知していた筈ですし、何より1582年の武田氏滅亡の後は、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の五国、132万石を領有する大大名となりましたので、その時点で、浜松城を石垣造りの城に改修しても良かった筈です。しかし、実際には拡張しましたが、石垣を築くことはありませんでした。

これは推測ですが、甲斐・駿河を領有した時点で家康の心は駿府に向いており、浜松城は駿府城完成までの繋ぎの城となってしまっていたのではないでしょうか。秀吉とは小牧長久手の戦いで戦火を交えたこともあり、最終的には秀吉によって江戸に移封されますが、家康の本心は駿府を居城として五国を統治する構想を描いていたのではないかと思います。なので、家康が駿府城に入り、統治が軌道に乗っていれば、その段階で浜松城の石垣化が行われたのではないかと思いますが、駿府城の天守が完成する間もなく、江戸に移ることになってしまいましたので、家康による浜松城の石垣化は幻となってしまいました。

晩年、将軍職を秀忠に譲って駿府に隠居しながら、国家普請で巨大な駿府城を築かせたのも、この時の無念の思いがあったからではないかと考えます。

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2018年6月21日 (木)

被災した熊本城元太鼓櫓が倒壊

熊本大地震で石垣が崩れるなどの被害を受け、8月に解体される予定となっていた熊本城の元太鼓櫓が倒壊しました。原因は地震で石垣に大きな損傷を受けて傾いていたところに、今回の大雨で石垣が崩壊し、倒壊したものです。元太鼓櫓は西大手櫓門の外側虎口に建っていましたが、明治になって取り壊され、2003年に木造で復元されていました。

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元太鼓櫓の位置関係はこんな具合です。 (出典:国土地理院 地理院地図を加工)

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西出丸側から見た西大手門です。石垣左側にわずかに見えるのが元太鼓櫓だと思います。

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イメージ的にはこんな平櫓ですが、板張り部分は全面が右側位の高さでした。

熊本城ではこれ以外にも木造復元しながら震災で大きく壊れた建物に飯田丸五階櫓がありますが、今回元太鼓櫓が全壊してしまったのは残念至極ですが、けが人が出なかったのがせめてもの救いでした。

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2018年6月15日 (金)

浜松市議会で浜松城が議題に

浜松市の定例市議会で、浜松城公園の整備に関する質問がいくつかあったようです。各会派4氏が浜松城に関する質問に立ちましたが、市側の回答では、来年度に予定されている、二の丸跡に建てられている廃校となった旧元城小学校跡地の発掘調査の結果によって、今後の整備計画が大きく見直される可能性が出てきました。

二ノ丸跡には現在旧元城小学校と市庁舎が建っていて、かつての面影はどこにも残っていません。特に市庁舎は基礎工事などで遺構が破壊されてしまっている可能性が大きいものと思われますが、旧元城小学校跡は校庭の部分の保存状態は良好と考えられ、二ノ丸御殿の遺構が確認できるのではないかと期待されます。

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現在の二ノ丸跡。 (出典:浜松城公園長期整備構想より引用)

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浜松城天守内に展示されているジオラマでは二ノ丸はこのように再現されています。

答弁に立った長田副市長は、将来的には公園整備の計画次第では市庁舎の移転もあり得るとしていますので、益々旧元城小学校跡地の発掘調査に期待がかかります。

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2018年6月 3日 (日)

浜松城発掘調査説明会

本日午前、浜松城の発掘調査で見つかった石垣が、露出展示用に整備されたのと最新の発掘調査の説明会が開かれたので行って来ました。

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浜松城へはいつもはマイカー利用なのですが、本日はイベントで駐車場が閉鎖となっていますので、駅まではバスを利用し徒歩で向かいました。途中でリニューアルされたマンホールを見つけたのでパチリ。

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今日の浜松城。すっかり夏の装いです。

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本日お披露目された発掘された石垣の露出展示部分です。浜松城跡は現在浜松城公園として公園化されていますが、その過程で遺構の一部が破壊されてしまいました。この石垣ももっと左側まで続いているそうです。

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2015年8月に発見された当時の石垣の様子です。

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発掘で見つかった文化財は、保護のために埋め戻されることが多いそうですが、今回は市民の目に触れるように、露出したまま展示することになり、周囲を補強しています。また、石垣の上部は遊歩道の整備の過程で失われてしまっていたので、おなじ石材で積み増しされました。少し小振りな石を使っていますので、境界がぼんやりと分かるかと思います。また、石垣の下部は補強のために少し盛り土されています。

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新たに積み増しされた石垣部分。奥の方にシートが見えます。これは決して手抜き工事などではなく、旧来の石垣との境界にシートを敷いた結果だと言うことです。

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本日の説明会の目玉です。今年1~3月の発掘調査で江戸時代以前の瓦が大量に見つかっていますが、櫓があった根拠の一つとして、周囲から少し飛び出している、この石垣の形状が挙げられるとのことです。この場所は2枚目の写真の白い幟(のぼり)が立っている所です。

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浜松城天守曲輪実測図です。 (出典:浜松市文化遺産デジタルアーカイブより)

図の右下、天守曲輪の南東の隅が少し出っ張っています。ここが上の写真の位置です。このような出っ張りを出隅(ですみ)と言いますが、ここに櫓が建っていたのではないかと考えられています。(青い部分)今年の夏にこの場所を発掘して調査を行うことが決まったとのことです。

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2018年5月12日 (土)

お城と階段

名古屋城の天守を木造で再建する計画について、名古屋市が史実に忠実に復元するためにエレベーターは設置しない方針を固めたことに対し、障害者の団体が差別だとして知事に救済を依頼する事態となっています。名古屋城は国の指定史跡となっている文化財で、日常的に利用する一般的な公共施設とは違いますので、私は名古屋市の決定を支持する立場ですが、他のお城ではどのようになっているのか、以前に撮った写真から確認してみました。

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1991年に木造再建の先駆けとなった福島県の白河小峰城です。残された絵図を基に木造で再現されました。本丸まで石段が続いており、車いすでの見学は考慮されていません。御三階櫓(天守に相当する櫓)に上がるには更に左側の急な石段を上る必要があります。

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こちらは1994年に最初の木造再建天守となった掛川城天守の内部ですが、急こう配の階段が設置されています。掛川城城主だった山内一豊は掛川城を偲んで高知城天守を築いたと言われていますが、掛川城の復元に当たっては、高知城天守を参考にしています。

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古写真を基に2005年に木造で再建された熊本城飯田丸五階櫓です。右側に入り口の石段があり、その上に勾配を緩くした階段が設けられていますが、車いすでの入場はできません。

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飯田丸五階櫓の内部です。再建に当たっては在来軸組工法で建てられ、段差は階段となっていて、車いすでの見学はできません。

この他2004年には、愛媛県の大洲城天守が明治時代の写真や大洲藩作事棟梁だった中村家に伝わる天守雛形などから詳細な内部構造資料を基に木造で再建されていますが、こちらにもエレベーターは設置されていません。

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江戸時代の天守が現存している宇和島城の天守内部の階段です。どこの城もそうですが、天守内部には急な勾配の階段が設けられています。軍事施設として城郭が築かれた時代には、こうした階段が当たり前のことでした。文化財として天守を復元しようとする場合、史実に基づいた構造・工法であるが求められるのは当然のことと言えるのではないでしょうか。

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2018年5月 9日 (水)

四国お城巡り 丸亀城編

名古屋城天守が木造再建の準備のため、再建工事完了まで見学が中止となりましたが、四国お城巡りも今回で最終回です。

丸亀城へは松山城から向かいましたが、移動に時間がかかるため、到着時には天守への入場時間を過ぎており、内部の見学はできませんでした。また、当日は丸亀お城まつりの開催日で、周辺は交通規制が敷かれており、大手口は大変な混雑だったので、こちらからの入城は断念せざるを得ませんでした。

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三ノ丸と二ノ丸の高石垣です。倒壊防止用なのか、三ノ丸石垣下部に黒い土嚢風の物体が積み上げられていました。良く見ると石垣に亀裂が生じており、石垣の状態が悪化しているのが判ります。

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搦手口付近から見た石垣群。この辺りの石垣は大丈夫そうでした。

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二ノ丸への虎口です。時間が遅いので陰の部分が多くなっています。

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大手門付近から見た丸亀城天守です。大手門に向いた側は、立派に見せるために唐破風や下見板で化粧しています。

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大手門は、くの字型の櫓門となっていますが、こちらが国の重文の大手一の門です。この向こう側に堀に面した大手二の門がありますが、今回は見学を断念しました。

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国の重文の御殿表門です。普段はできるだけ人物が映り込まないようにしていますが、流石にイベント開催中なので、建物だけとは行きませんでした。

今回、高知・宇和島・松山・丸亀と四国にある現存4天守全てを周ることができましたが、まだまだ見残した所もありますので、またいつか四国を再訪したいと思っています。

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2018年5月 8日 (火)

四国お城巡り 松山城編その2

松山城では本丸内の天守周辺を本壇と呼んでいますが、天守曲輪の意味合いです。一の門は本壇への最初の防禦地点です。

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一の門を入った先にある二の門です。短い距離で門が連続し、しかも桝形となっていますので、ここを突破するのはかなり難しいのではないかと思われます。

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三の門です。

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三の門を進み、天守内側に入るための最後の関門となる筋鉄門です。

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天守群の内側から見た大天守と左側が内門で、右側が先ほど潜った筋鉄門です。良く見ると大天守と板張りの色が違っています。これは大天守を除く連結した櫓群が昭和8年の放火で焼けてしまい、昭和30年代になって再建されているからですが、大天守も1784年に落雷で焼失したものを1852年になって再建したものです。

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大天守から見下ろした、正面から乾櫓、手前に向かって乾門、乾門続櫓です。

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切妻部分の明り取りですが、防禦を考慮してか、閉め切ることができるようになっています。

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三ノ丸から見上げた天守群と馬具櫓、太鼓櫓と二ノ丸庭園。

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二ノ丸下にある黒門跡。大手道だけに立派な石垣が積まれています。手前は三ノ丸ですが、三ノ丸は公園となっており、遺構を見ることはできません。

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