2019年10月16日 (水)

浜松城発掘調査で新たな成果

浜松市は今夏、二か所で浜松城の発掘調査を行っていました。一か所は旧元城小学校跡の二の丸部分、もう一か所は国道152号線を挟んだ東側の浜松いわた信用金庫の駐車場、かつて三の丸があった場所です。旧元城小学校の発掘は元々予定されていたものですが、駐車場の方は、新たに建物を建てることになり、それに伴う緊急調査でした。いずれも、発掘の経過について浜松市からの報道はなかったので、進展について気になっていたところ、昨日になって、駐車場跡から堀跡が見つかったとの報道がありました。

浜松市が報道関係に発掘現場を公開したようで、現場の様子が動画で紹介されていました。桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、自由の身となった家康は、逆に三河から遠江に侵攻し、今川の配下であった引間城を攻め落としました。しかし、遠江支配の拠点としては小さすぎたため、直ぐ近くに新たに城を築き、浜松城と命名したのでした。家康は引間城を完全には破壊せず、浜松城の一部として活用しましたが、堀はその過程で埋められたようです。

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引間城と浜松城の位置関係です。絵図は上が南となっています。 遠州浜松城絵図(国立公文書館所蔵)を加工。

発掘では陶器の破片などが見つかっており、戦国期のものと見られています。浜松城跡は国指定の史跡とはなっていませんので、恐らく調査の後は埋め戻されますが、建築工事の過程で遺構は失われることになってしまうのではないかと思われます。

 

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2019年10月 5日 (土)

熊本城が一部見学を再開

2016年4月の熊本地震で大きな被害を受け、修復工事が続いている熊本城ですが、外観修理が完了した大天守について、本日午後から外観のみの見学が再開されました。熊本城は加藤清正によって築かれた、高い石垣が特徴ですが、あの地震によって石垣多数が崩落してしまい、建物にも大きな被害がでました。その中で、天守については鉄筋コンクリートよって再建されたものだったことから、屋根瓦の大半は落下したものの、致命的なダメージを免れました。

修復は、外観を先行して行われ、石垣の積み直しなど、とりあえず外観工事が完了した大天守について、本丸内部から外観を見学できるようになったものですが、小天守については工事が続行中のため、足場が組まれたままの姿となっています。

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今回、外観のみですが見学が再開された大天守(向かって右側)です。

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築城当時の木造のまま残っていた、手前の宇土櫓(うどやぐら)も修復中で、現在は外観を見ることはできません。

文化財が破損した場合、破損した部材でも文化財なので、勝手に捨てることは許されません。最大限再使用して修復されることになりますので、宇土櫓の修復には時間がかかるものと思われます。熊本城全体の修復については、現時点では2037年の完了予定となっています。

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2019年9月20日 (金)

名古屋城解体目途立たず

名古屋城木造復元に関し、文化庁で審議している現天守の解体許可について申請を取り下げる意向であることが明らかになりました。名古屋城の木造復元については2022年末の完成を目指し、当初は今年9月に解体を始めたいとしていましたが、石垣の保全をめぐって市有識者会議の「石垣部会」の同意が得られず、来年3月に先延ばしされていました。しかし、現状では木造復元工事の許可が得られる見通しがたたないことから、復元工事と解体工事を同時に申請することに方針転換したものです。

名古屋城の復元については、石垣部会」が石垣の保全を優先すべきとしており、復元工事の中で保全工事を行いたいとする市側の意見が対立し、文化庁は復元工事には「石垣部会」の同意が必要としていました。このため、現時点では復元工事の開始については、全く目途が立たず、既に工事を前提として、現在の天守への入場が禁止されていますが、この状態が続いてしまうことになりそうです。市側は「石垣部会」の理解を得ることを最優先に取り組むとしていますが、先行きは不透明です。

「石垣部会」は木造天守が戦災で失われた以上、残った石垣こそが貴重な文化財との考え方のようですが、極論すれば、石垣は建物の基礎のようなものですから、石垣だけ残っているより、その上の建造物が復元されることに意味があると考えます。石垣には、石材や切り出し方法、積み上げ工法など様々な情報が詰まっているのは事実です。しかし、個々のパーツの組み合わせであり、破損や崩壊などによっては取り換えや積み直しが行われているのが現実です。石垣保全に固執するあまり、角を矯めて牛を殺す事態だけは避けて欲しいものです。

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現在は入場禁止となっている、戦後に鉄筋コンクリートで再建された名古屋城天守。

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2019年6月21日 (金)

浜松城二の丸跡発掘調査始まる

先日、もしかしたら延期かもと記事にしましたが、浜松城の二の丸の発掘調査が開始されたと今朝の中日新聞が報じています。実は水曜日に、仕事で現場の旧元城小学校前を車で走行したのですが、その時重機が配置されていたのとフェンスに飛散防止用のシートが設置されていましたので、もしかしたらとの予感がありました。

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今年2月に撮影した元城小学校跡地です。

記事によれば、今回の発掘は重機を使った予備的なもので、全体をマスの目状に掘って、遺構の位置を確認するのが主目的のようです。二の丸は廃城後、民家として使用された後、小学校用地として使われましたが、その際盛り土されたようです。今回の発掘では表面の土を1mほど掘り下げ、江戸時代の地表面まで掘り下げる予定です。絵図によれば二の丸には御殿が築かれ、城主が居住したり、藩政を執り行う役所の役割を果たしていたことが判っており、絵図に沿った調査が行われる模様です。調査は来年1月までの予定で行われます。

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浜松城復興天守に展示されている浜松城縄張りのジオラマです。

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2019年6月 4日 (火)

浜松城第26次発掘調査は先送りか

浜松城は明治の廃城令の後、遺構の保存が十分でなく、本丸や二の丸部分が大規模な建設工事によって損なわれてしまいました。元城小学校の敷地となった二の丸部分でも校舎やプール、体育館などが、地下を掘り下げた基礎工事を経て建てられてしまいました。一昨年に元城小学校が閉校となったことから、浜松城の26次発掘調査として、地下の深い部分に残された遺構や遺物の発掘が予定され、一時は支援事業の公開入札が公募されましたが、突然中止され、5月30日付で新たに27次の入札が公募されています。

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浜松城の発掘風景

これは国道257号線を挟み、市役所の東側に位置する浜松磐田信用金庫が、旧三の丸跡地に本部ビルの新設工事を予定していることが判ったため、急遽発掘調査を組み入れたためではないかと思われます。このため、予算および人的資源の制約から、26次調査を凍結し、27次調査を先行することにしたのではないかと推測されます。

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発掘予定地 (出展:遠州浜松城絵図 浜松市文化財デジタルアーカイブより)

26次調査予定地では堀跡が含まれるため、貴重な出土品が出ることが予想されていました。一方27次予定地は、現在既にビルが建っていますので、遺構の保存状態はあまり期待できませんが、これまで判っていなかった新たな事実が明らかになることが期待されます。

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2019年4月18日 (木)

ノートルダム大聖堂の修復は困難が予想

ノートルダム寺院の火災は世界中にショックを与えました。フランスのマクロン大統領は20042024年までに再建したいと言っていますが、火災の被害は当初見られていたよりも深刻な情報が伝わって来ています。屋根以外の構造体は無事との報道もありましたが、放水や加熱による強度劣化については現時点で内部の安全性が確保されておらず、詳細は判っていません。第二次大戦末期に空襲で焼けた名護屋城の場合、石垣の被害を受けていますが、今回の木造復元に際して、石垣の安全性が指摘されています。

また尖塔を含む上部構造物も複雑な構造で、建築作業自体に時間がかかることや、使用する木材の確保や乾燥にも時間がかかることから、とても5年間で済むような話ではなく、暫定的に屋根を掛けて、後はじっくり修復することになるのではないでしょうか。

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2019年3月29日 (金)

丸岡城天守は江戸時代の建造と判明

福井県坂井市にある丸岡城の天守は石の瓦で葺かれていることで有名ですが、現存する12の木造天守の中で最も古い年代に築かれたと考えられていました。ところが、最近になって坂井市教育委員会が、柱などの木材を使って年代を測定した所、1620年以降に伐採されたものであることが明らかになり、造営された時期が寛永年間(1624~44年)であることが特定されました。丸岡城天守は建築様式や石垣が野面積みであることから、これまで江戸時代以前に築かれたと考えられていました。

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丸岡城の天守です。

丸岡城の天守が江戸時代に下がってからのものだと判りました。では改めて最古の天守は、と言うことになりますと、答えは国宝の松本城乾小天守(いぬいしょうてんしゅ)と言うことになり、築造年は天正19年(1591年)もしくは文禄3年(1594年)と推定されます。天守が現存する12城の大半が、磨かれた石垣の上に華麗な天守を誇っていますが、これには理由があります。

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松本城の天守、小天守、月見櫓です。

江戸時代以前の戦国時代は、いつ敵が攻めてくるか判らず、のんびりと城造りをしている余裕はありませんでした。大きな城を作るよりも兵力を増強して戦に備えたり、隣国に攻め入って領地を拡大することが領主たる大名に求められたことでした。しかし、関ヶ原の合戦で西軍が敗北し、徳川家の支配が確固たるものになると、大名は領地の経営に心血を注ぐようになります。そして、支配者としての権力を領民に誇示するのに利用したのが、高い天守を備えた堅牢な構えのお城でした。姫路城も名古屋城も、現在ある城は関ケ原の戦い以後に築かれたものです。

丸岡城天守が最古のものではないことが明らかになったことは大変残念ですが、それでもかなり古い時期に建てられたことは間違いありませんので、今後も大切に保存されることを、ひたすら願うのみです。

 

 

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2019年3月17日 (日)

丸亀城の崩落石垣修復工事がスタート

昨年10月の大雨で崩落した香川県の丸亀城の石垣について、緊急修復工事がスタートしたようです。丸亀城では以前から石垣の孕みが確認されており、修復工事に入る矢先に大雨に見舞われ、下の写真に写っている大半が崩落してしまいました。

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昨年5月に撮影の丸亀城南西側の石垣です。

今回の緊急工事は本格的な修復工事に備えて、崩落した石垣の撤去や新たな崩落の防止を図るのが目的です。工事は三つに分かれて行われ、その1として、崩落した石垣の撤去と崩れ残って不安定になっている石垣の除去工事です。その2として、崩れた斜面に防水シートを設置したり、排水路を設けて新たな崩落が起こらないようにする工事です。その3は崩れた斜面を削ってモルタルを吹き付けたり、崩れた石垣周辺の石垣にネットをかけて補強する工事です。緊急工事の総額は9396万円で原則として3月末までの予定ですが、市議会で予算の繰り越しが認められれば、梅雨入り前の5月末まで行われる見込みです。

崩れてしまった石垣の総個数はおよそ6000個に上り、修復完了まで5年、工事費35億円が見込まれています。2011年の東日本大震災で被災した福島県白河市の小峰城は今月末に石垣の修復工事が完了予定ですが、修復に8年を要しています。小峰城の修復で培われた修復技術は丸亀城や熊本城の修復に生かされることになっていますので、少しでも工期が短縮できればと思っています。

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修復された小峰城の石垣です。

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同じく修復が終わった御三階櫓です。

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2019年2月14日 (木)

浜松城に本年初登城

浜松城の発掘調査も一段落したので、ちょっと足を運ぶ間隔が空いてしまいましたが、昨日3ヶ月振りに行って参りました。今回は、廃校になった旧元城(もとしろ)小学校の建物の撤去作業の進捗状況と、天守曲輪の発掘調査の後がどうなったかを確認するのが目的です。

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先ずは、旧元城小跡地の現況はこんな具合でした。富士見櫓跡から見た二ノ丸方向です。地上の建物は全て撤去されて現在は周辺の残存物を整理している状況です。来年度はここを発掘調査することになっています。小学校建設に伴い、地下の遺構の損壊が懸念されますが、未知の遺物が多く残っていることが期待されますので、発掘が待たれます。

富士見櫓から東に延びる本丸の石垣がブッシュに覆われていましたが、昨日伐採作業が行われていました。発掘調査の前作業か公園整備の一環なのか判りませんが、新たな姿明らかになるのは歓迎です。

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昨日は朝の内、中々雲が取れず撮影は半分諦めていましたが、昼近くになって抜けるような青空になりました。

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現在の発掘現場の様子です。すっかり埋め戻されて何事もなかったかのような佇まいです。今のところ、新たな発掘の成果についての説明板の設置はされていませんでした。

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昨日も観光客がひっきりなしに訪れていましたが、この下に石垣が埋まっていることを知る由もなく、天守門内部を見学していました。

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ところで、新たな動きがありました。家康時代の堀跡が見つかった旧庁舎跡は将来的に公園として整備される予定となっていますが、整地してベンチが整備されていました。

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現在の状況です。これが完了形ではなく、一時的なものだと思われますが、石垣を眺めながら一息入れることができるようになりますので、利用の増加につながるものと期待されますが、今のところ日射を遮るものが設置されていませんので、夏場はちょっとつらいかも知れません。

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2018年11月 3日 (土)

浜松城発掘説明会

またまた浜松城の話題で恐縮です。今日は浜松城の第24次発掘調査の現地説明会が催されましたので、出掛けて来ました。市民の関心も高く、今回も多数の方が参加していました。

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天守曲輪内側石塁の東南隅の屈曲点です。今日は雲が多く、少し肌寒い気候でしたが、写真を撮る上ではコントラストが和らいで好都合でした。説明会なので、現場も整理され、良い状態で撮影できるのはありがたい限りです。

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天守曲輪南側の石塁と発見された大量の瓦です。現在のところ、江戸時代以前の様式のものしか確認されておらず、堀尾吉晴が築いた建造物に使われていた可能性が極めて高いものと見られています。

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問題の櫓の礎石と見られる平たい石です。上の写真の石と比べて大きく、形も整っているのが良く判ります。

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こちらは反対側にある埋門(うずみもん)の南側のトレンチです。石垣が2段になっていますが、この場所に石垣上部に上がる石段が作られていたとのことで、江戸時代の絵図とも一致していました。

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往時の天守曲輪の様子を想像してみました。前回は実際の復興天守でしたが、天守台の規模からするとかなり高さも大きさも低いので、松江城の天守を拝借しました。こうして見るとかなり強固な軍事施設であり、かつ豊臣の威光を領民に見せつける効果は十分に果たしたものと思われます。

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