2020年2月23日 (日)

名古屋城木造天守、2028年完成を検討

浜松城では、昨年地元金融機関が建物を建て替えようと予定地を掘削したところ、これまで知られていなかった堀跡や建物跡多数が発見され、今も発掘調査が続いています。首里城の火災など、文化財の保存について国民の関心が高まっており、その保存についても従来以上の注目が集まっています。そのような中、現在の鉄筋コンクリートの天守を取り壊し、木造の天守を再建しようとしている名古屋城では、文化庁の指導もあり、取り壊しの予定が遅れ、完成の時期が先送りとなっています。

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大戦中に焼失した木造天守に代わり、戦後に再建された鉄筋コンクリートの名古屋城天守

その様な中、これまで2022年完成とした計画は不可能となっていましたが、新たに2028年に完成時期を遅らす検討がされていることが明らかになりました。現在、天守の取り壊しが遅れているのは、江戸時代に作られた天守の石垣の保存方法について、有識者との合意が得られいないからです。私自身の考えとしては、上部建造物が無い場合は、石垣が保存の対象となり得ますが、上部建造物(再建品を含む)がある場合は、優先すべきは建造物のほうではないかと思っていますが、文化庁の考えは違うようです。保存についての議論は、万全を期して十分なされることが必要だとは思いますが、当初の予定に合わせ、必要な木材の手配がなされていますので、いくらでも時間をかけて良いとは言えないのではないかと思われます。その意味で、新たな完成時期を2028年と定めることは、意義のあることだと思います。名古屋市の河村市長も、できるだけ短縮したいとしているそうですが、同感です。

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2020年1月10日 (金)

浜松市が浜松城の情報を募集

浜松市が廃城前の浜松城の写真や図面などの情報提供を呼び掛けていると、複数の新聞が伝えました。浜松城は徳川家康が遠江進出の基盤として築城し、二代将軍秀忠が誕生した家康にとって特別な城です。また、江戸幕府誕生以来、歴代城主が幕閣に任じられるなど、出世の登竜門となった注目の城でしたが、未だ国の史跡となっていません。浜松市は、明治時代に廃城となって破壊されてしまい、大きく姿を変えてしまった当時の城の姿を明らかにするために、発掘調査を続けていますが、未だ全容は明らかになっていません。

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現在の浜松城の外観。

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絵図や発掘調査を元に作成されたジオラマ(浜松城天守内の展示品)です。

浜松市は、発掘調査だけでは解からない廃城時の城の姿を明らかにするため、当時の城を写した写真や図面などの情報提供を呼び掛けることにしたものと思われます。もし、新たな写真などが見つかれば、復元につながるなど遺構の保存や景観の向上に大きく寄与するものと思われますので、成果が期待されます。

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2019年11月16日 (土)

光明山古墳が国史跡に指定

浜松市が昨年発掘調査を行った、天竜区にある光明山古墳について、国の文化審議会は15日、国史跡に追加指定するよう文部科学大臣に答申しました。これにより、光明山古墳は国史跡に登録されることになりました。

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発掘調査時の光明山古墳です。

光明山古墳は5世紀中ごろに築かれた全長83m、高さ8.5mの前方後円墳で、浜松市内では最大、東海地方でもこの時期のものとしては最大級の大きさの古墳です。墳丘は2段に築かれており、形状も近畿地方の大型古墳と類似していることから、設計図の入手など大和朝廷と極めてつながりが深いことがうかがえます。墳丘は全体に葺石で覆われ、これまで盗掘に遭っていないことから良好な形で残っており、大変貴重な遺跡です。墳丘からは埴輪も多数出土しており、埴輪列があった位置も特定されています。

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発掘された葺石の状態。発掘は墳丘の一部でしか行われていませんが、葺石は全周にわたっているものと考えられます。多くの古墳が現存していますが、葺石が当時のまま残っている例を知りません。墳丘はかなりの急斜面となっていますが、それにもかかわらず、このような状態で残っていたことは、大変貴重な存在であると言えるのではないかと思います。それだけに、今後どのように保存していくかが課題となるのではないかと思われます。

注記:写真は昨年4月の現地説明会で撮影したものですが、保全のため現在は埋め戻されている可能性が考えられます。遺跡の価値が高いことから、一部を公開展示する可能性がありますが、現況については未確認なので判っていません。

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2019年10月31日 (木)

首里城が炎上

朝起きたら、首里城炎上のニュースが飛び込んで来ました。猛烈な火勢でしたので、鎮火に手間取るだろうなと思いましたが、未だ鎮火に至っていないようです。再建されたものとは言え、世界遺産の建造物が、いとも簡単に炎上してしまったことに衝撃を受けています。

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2019年10月27日 (日)

木造再建名古屋城は垂直に動く床はOK

名古屋市は、第二次大戦で焼失した名古屋城の天守を木造で再建する計画ですが、歴史に忠実に再建したいとの意向から、身障者の団体から要望のあったエレベーターの設置は認めない方針を示しています。その代わり、エレベーターに代わる設備を検討したいとしていましたが、24日に開かれた有識者会議で、エレベーターに代わる技術の公募に向けた、募集要項の素案を提示しました。素案では、柱や梁の変更は認めないものの、「設備を取り外せば、史実に忠実な状態に戻すことができる」ことを条件にしており、公募する予定の技術は次の四つとしています。

①床が垂直に動く装置

②パワーアシストスーツなど歩行を補助する装置

③椅子型の昇降機など、利用者の乗り換えを必要とする技術

④タラップなど、地上から直接城に入る装置

名古屋市では、これらの技術について来年度に試作品の審査を行なった上で補助金を交付し、21年度採用する技術を決定したいとしています。

ところで、垂直に動く床と言えば思い浮かぶのはこちらです。

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白線に囲まれているのが、護衛艦「いずも」に設置されたエレベーターで、空母などに設置されているのと同じ形式です。

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こちらは護衛艦「ひゅうが」のエレベーターが下降したところです。エレベーター部分に柱は無く、四隅をワイヤーで吊り上げて昇降する仕組みです。これなら、構造を工夫すれば、お城の中に設置が可能かも知れません。名古屋城の木造再建計画は、工事に着手できない状態が続いていますが、着手に向け、計画が進むことが期待されます。

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2019年10月20日 (日)

雨中の浜松城発掘調査説明会

昨日は、先日も取り上げました、浜松城二の丸及び三の丸の発掘調査現地説明会がありましたので、午後の部に参加して来ました。天気予報が芳しくない中、午前の部は何とか天気が持ちましたが、午後の部は残念ながら雨の中となってしまいました。

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二の丸跡から見た天守。以前は校舎が建っていた場所なので、このアングルの写真は初めてです。

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二の丸跡で見つかった瓦だまり。二の丸は明治期に民間に払い下げられ、住宅地や工場として使われた後、戦後は小学校として使われましたので、表層部は改変されてしまった所もありますが、このような遺物が残っていることから、今後、多くの遺構発見の期待がかかります。

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三の丸発掘現場全景。多くの柱穴が見つかっており、礎石も確認されていますが、雨水で水没していたのが残念です。

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三の丸西側で発見された直線状に延びた堀。江戸時代に作成された絵図には載っていないことから、引間城時代の遺構と考えられ、浜松城造営の段階で植えたてられたと考えられています。

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三の丸北側で見つかった堀の跡。絵図に古城と記載されている引間城の堀の可能性がありますが、円弧状となっていることから、引間城時代の馬出の可能性もあるのではないかと思われます。引間城は今川氏の配下の城であったため、義元の時代に姻戚関係を結んだ武田氏から、馬出の築城技術を会得していたことも否定できません。

二の丸跡については市有地であるため、今後時間をかけて調査が行われるものと思われますが、三の丸については地元信用金庫の所有地であり、今回の発掘も駐車場に新たに建築物を建てるための緊急調査となっています。しかし、こうして貴重な遺構多数が見つかった以上、これらを保存せずに破壊してしまうことは許されません。遺構の保存について質問したところ、説明担当者の歯切れが大変悪いものとなりました。逆に言えば、言下に否定しなかったことから、水面下で何らかの動きがあることが推測されます。江戸時代300年の基礎を築いた徳川家康が、第一歩を記した貴重な城である浜松城です。その貴重な遺構が、私企業の利益のために破壊されることがないよう、関係者の英断が期待されます。

 

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2019年10月16日 (水)

浜松城発掘調査で新たな成果

浜松市は今夏、二か所で浜松城の発掘調査を行っていました。一か所は旧元城小学校跡の二の丸部分、もう一か所は国道152号線を挟んだ東側の浜松いわた信用金庫の駐車場、かつて三の丸があった場所です。旧元城小学校の発掘は元々予定されていたものですが、駐車場の方は、新たに建物を建てることになり、それに伴う緊急調査でした。いずれも、発掘の経過について浜松市からの報道はなかったので、進展について気になっていたところ、昨日になって、駐車場跡から堀跡が見つかったとの報道がありました。

浜松市が報道関係に発掘現場を公開したようで、現場の様子が動画で紹介されていました。桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、自由の身となった家康は、逆に三河から遠江に侵攻し、今川の配下であった引間城を攻め落としました。しかし、遠江支配の拠点としては小さすぎたため、直ぐ近くに新たに城を築き、浜松城と命名したのでした。家康は引間城を完全には破壊せず、浜松城の一部として活用しましたが、堀はその過程で埋められたようです。

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引間城と浜松城の位置関係です。絵図は上が南となっています。 遠州浜松城絵図(国立公文書館所蔵)を加工。

発掘では陶器の破片などが見つかっており、戦国期のものと見られています。浜松城跡は国指定の史跡とはなっていませんので、恐らく調査の後は埋め戻されますが、建築工事の過程で遺構は失われることになってしまうのではないかと思われます。

 

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2019年10月 5日 (土)

熊本城が一部見学を再開

2016年4月の熊本地震で大きな被害を受け、修復工事が続いている熊本城ですが、外観修理が完了した大天守について、本日午後から外観のみの見学が再開されました。熊本城は加藤清正によって築かれた、高い石垣が特徴ですが、あの地震によって石垣多数が崩落してしまい、建物にも大きな被害がでました。その中で、天守については鉄筋コンクリートよって再建されたものだったことから、屋根瓦の大半は落下したものの、致命的なダメージを免れました。

修復は、外観を先行して行われ、石垣の積み直しなど、とりあえず外観工事が完了した大天守について、本丸内部から外観を見学できるようになったものですが、小天守については工事が続行中のため、足場が組まれたままの姿となっています。

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今回、外観のみですが見学が再開された大天守(向かって右側)です。

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築城当時の木造のまま残っていた、手前の宇土櫓(うどやぐら)も修復中で、現在は外観を見ることはできません。

文化財が破損した場合、破損した部材でも文化財なので、勝手に捨てることは許されません。最大限再使用して修復されることになりますので、宇土櫓の修復には時間がかかるものと思われます。熊本城全体の修復については、現時点では2037年の完了予定となっています。

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2019年9月20日 (金)

名古屋城解体目途立たず

名古屋城木造復元に関し、文化庁で審議している現天守の解体許可について申請を取り下げる意向であることが明らかになりました。名古屋城の木造復元については2022年末の完成を目指し、当初は今年9月に解体を始めたいとしていましたが、石垣の保全をめぐって市有識者会議の「石垣部会」の同意が得られず、来年3月に先延ばしされていました。しかし、現状では木造復元工事の許可が得られる見通しがたたないことから、復元工事と解体工事を同時に申請することに方針転換したものです。

名古屋城の復元については、石垣部会」が石垣の保全を優先すべきとしており、復元工事の中で保全工事を行いたいとする市側の意見が対立し、文化庁は復元工事には「石垣部会」の同意が必要としていました。このため、現時点では復元工事の開始については、全く目途が立たず、既に工事を前提として、現在の天守への入場が禁止されていますが、この状態が続いてしまうことになりそうです。市側は「石垣部会」の理解を得ることを最優先に取り組むとしていますが、先行きは不透明です。

「石垣部会」は木造天守が戦災で失われた以上、残った石垣こそが貴重な文化財との考え方のようですが、極論すれば、石垣は建物の基礎のようなものですから、石垣だけ残っているより、その上の建造物が復元されることに意味があると考えます。石垣には、石材や切り出し方法、積み上げ工法など様々な情報が詰まっているのは事実です。しかし、個々のパーツの組み合わせであり、破損や崩壊などによっては取り換えや積み直しが行われているのが現実です。石垣保全に固執するあまり、角を矯めて牛を殺す事態だけは避けて欲しいものです。

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現在は入場禁止となっている、戦後に鉄筋コンクリートで再建された名古屋城天守。

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2019年6月21日 (金)

浜松城二の丸跡発掘調査始まる

先日、もしかしたら延期かもと記事にしましたが、浜松城の二の丸の発掘調査が開始されたと今朝の中日新聞が報じています。実は水曜日に、仕事で現場の旧元城小学校前を車で走行したのですが、その時重機が配置されていたのとフェンスに飛散防止用のシートが設置されていましたので、もしかしたらとの予感がありました。

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今年2月に撮影した元城小学校跡地です。

記事によれば、今回の発掘は重機を使った予備的なもので、全体をマスの目状に掘って、遺構の位置を確認するのが主目的のようです。二の丸は廃城後、民家として使用された後、小学校用地として使われましたが、その際盛り土されたようです。今回の発掘では表面の土を1mほど掘り下げ、江戸時代の地表面まで掘り下げる予定です。絵図によれば二の丸には御殿が築かれ、城主が居住したり、藩政を執り行う役所の役割を果たしていたことが判っており、絵図に沿った調査が行われる模様です。調査は来年1月までの予定で行われます。

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浜松城復興天守に展示されている浜松城縄張りのジオラマです。

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