2018年6月22日 (金)

醜議員、穴見陽一

社会的評価とは違う人物は多々存在しますが、国会議員でありながら人間としての良識をもたないと言うのは本当に嘆かわしいことです。政治家に清廉を求めるのは八百屋で魚を探すようなものとも言われましたが、それにしてもひどい議員がいたものです。

今月15日、衆議院厚生労働委員会は受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の審議に伴い、参考人として招致された日本肺がん患者連絡会代表の長谷川一男氏の発言中に、穴見議員が長谷川氏に対し「いい加減にしろ」とヤジを飛ばしたと言うものです。長谷川氏は自らも肺がんを患い、病気によって折れやすくなった骨を保護するコルセットを外して質疑に応えている最中でした。以下21日付のBuzzFeedJapanから引用です。

~日本維新の会の浦野靖人議員が、屋外で吸うことに対する考え方を質問し、それに答えていた。

長谷川さんは「原則としては屋外でもなるべく吸ってほしくないというのが肺がん患者の気持ちではある」と述べたうえで、「やはり喫煙者の方がどこも吸うところがないじゃないかとおっしゃるのもすごくよくわかります」と喫煙者の思いにも配慮した発言をした。

その直後に、議員席に座っていた青いシャツ姿の議員から「いい加減にしろ!」とヤジが飛んだ。

中略

そして、そのまま次のように意見を続けた。

「そういったことで、屋外の喫煙所を作る、増やしていくというのは一つの方法ではないかと考えてはいます。しかしながらそれも一時的なもので、なんとか数年経った後にそういったところもなくしていくことができればいいんじゃないかなと個人的には思っております」

すると、再び青シャツの議員から「いい加減にしろ!」とヤジが投げられた。別の自民党議員はヤジを飛ばす議員を見ながら笑っていた。 ~

何と民間からの参考人に二度もヤジを飛ばすとは正直人間のクズとしか思えません。別の自民党議員も同様です。がんで苦しむ患者が肺がんの原因の一つである喫煙に対して、病を押して発言している最中に、喫煙者である穴見議員が自らの立場でヤジを飛ばすとは見上げた根性です。しかも穴見議員は喫煙対策が求められる大手ファミリーレストランチェーン「ジョナサン」の代表取締役であると言うから、更に呆れます。

そもそも国会は弁論を通じて政策を実現させる場である筈です。その議論の場である委員会の発言中に、それを制するような発言は議員としての資質を疑うものです。また、その場で穴見議員に何ら注意をしなかった高鳥委員長も問題です。法案審議のために病に苦しんでいる人間が参考人として意見を述べようと、体に鞭打って臨んでいるのに、それを誹謗する議員に対して静観している神経を疑います。

21日になって、この問題がマスコミに取り上がられるや、高鳥委員長は穴見議員を厳重注意し、長谷川氏に謝罪文を送ることを決めましたが、体裁を整えただけのことで、高鳥氏自身が謝罪しなければなりません。また、これを受けて穴見議員がコメントを出しましたが、これがまた問題です。

・「不愉快な思いを与えたとすれば、心からの反省とともに深くお詫びします」と言っていますが、これでは相手が不愉快と感じることを前提としており、心からの反省とは程遠いものです。病身の参考人を見下した態度であり謝罪になっていません。

・「喫煙者を過度に差別すべきではないとの思いでつぶやいた」先に引用した長谷川氏の発言のどこに過度に差別する内容があるでしょうか?冷静で抑制的に発言する参考人に対し、罵声を浴びせるなど到底許されるものではありません。しかもヤジは大声を発するものであり、弁明のためのコメントでヤジをつぶやきなどと自己弁護するなどつくづく見下げ果てた最低男だと感じました。

以前自民党総裁の安倍晋三氏は都議選の応援演説でヤジられ、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と力説しました。私は穴見議員こそが「こんな人」だと思いますが、安倍氏は何故か沈黙です。できそこない議員の不始末は党総裁の責任だと思いますが、自身も「こんな人」と認めたわけでしょうか。

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2018年6月20日 (水)

朝倉の三連水車が再開

昨夜のW杯コロンビア戦、前半 6分での先制点で見事緒戦を勝利で飾りました。日本全国が喜びに沸いたことと思いますが、私も取って置きの余市で祝杯を挙げました。

さて、いよいよ梅雨本番です。西日本で強い雨が降っていますが、地震の被害があった大阪周辺では、土砂災害が起き易くなっていますので心配です。

ところで、昨年未曽有の豪雨に見舞われ、大きな被害を出した朝倉の三連水車が復活したとの報道がありました。水車は筑後川に近い用水路脇に設置されていましたので、水害で被害を受けたのではないかと心配されていましたが、何とか大きな破損を免れました。三連水車は地域の名所として周辺住民にとっては象徴的な存在でしたので、熊本城のように復興に向けて心の支えになったのではないでしょうか。

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以前に撮影した朝倉の三連水車です。

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水車には水の落差を利用して回るものと、流れの勢いを利用して回るものがありますが、ここでは後者で低い水路の水を高い水田に汲み上げる役目をしています。

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水車の両側には汲み上げ用の桶が取り付けられていて、それを樋で集めて水路に流しています。

水車の力強い動きは、多くの人に勇気を与えてくれますが、地域の復興に弾みがついてくれればと願って止みません。

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2018年6月19日 (火)

歯ブラシさんを偲んで

昨日は通勤通学の時間帯である午前8時前に大阪北部を震源とする地震があり、死者4名、負傷者400名近い被害が発生しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

訃報が知らされた山仲間のニックネームは「歯ブラシ」さんでした。由来は、水が大変貴重な環境下においても常に食後の歯磨きを欠かさなかったからで、雪を溶かして水を作る雪山でもこの習慣は変わることがありませんでした。

「歯ブラシ」さんとは、昨年閉店した登山用品店からの紹介で知り合いました。私よりも二つ年上でしたが、お互いそんなことは気にせず、良く山に行きました。ある年の夏、南アルプスの聖岳から茶臼岳への縦走を計画した私たちのパーティは、林道で赤石沢を登っている筈の閑人倶楽部のメンバーと出会いました。聞けば上流では雨で水量が上昇し、計画を断念して下山したとのことです。

当夜は林道の橋の下にテントを張って、楽しい宴会となりました。その中で歯ブラシさんともう一人のメンバーが同じ高校の卒業生であり、クラブ活動ではグラウンドで隣り合わせていたにもかかわらず、この時まで全く面識がなかったと言うことが判り、大いに盛り上がりました。

その後、正月には赤石岳から茶臼岳への縦走を計画し、雪と寒さに苦しみながら赤石東尾根から聖岳まで縦走しましたが、あるトラブルで下山を余儀なくされました。以来、「歯ブラシ」さんと会うと、この時のことが思い出されてなりません。

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春の赤石岳、画面左側の山です。

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こちらは聖岳です。冬と変わらない積雪です。

もう一つ記憶に残っているのが、スキーで縦走した妙高の天狗原山から火打山への縦走です。笹ヶ峰から入山し、天狗原山東の尾根をスキーを使ってひたすら登りました。「歯ブラシ」さんは山スキー、私はテレマークスキーで思い思いに登って行きましたが、このコースを選ぶ物好きは少なかったと見えて、他の登山者に出会うこともなく春山を存分に楽しみ、稜線手前でツェルトを張りました。

翌日順調に稜線をスキーで縦走しましたが、どうもこの時焼山は入山禁止となっていたようで、焼山山頂は強風にもかかわらず、強い硫黄の匂いがしました。今と違い、情報伝達の手段が限られていましたので事前情報でキャッチできず、また登山のベースとなる笹ヶ峰にもそのような表示の類は全く見られませんでしたので、このことを全く知らずに入山してしまったのです。稜線で、雨飾山方面に縦走するパーティとすれ違いましたので、地元では規制は有名無実化していたのかも知れません。

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二日目の高谷池(こうやいけ)ヒュッテ前に張ったエントラントのツェルト。後方が越えて来た火打山です。

御嶽山の噴火があった時も真っ先にこのことが頭に浮かびましたし、笹ヶ峰に足を運ぶ度、この時のことが思い出されて仕方ありません。

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2018年6月18日 (月)

登山仲間の訃報が届く

遭難が伝えられていた新潟県の登山グループの無事が確認され、ほっと安堵していたら友人の訃報が届きました。現在は地元を離れ、埼玉県でツァーガイドとして活動していた友人が、16日に雲取山でガイドとして登山中に突然倒れ、病院で死亡が確認されたと言うことで、病死と見られています。

これまで体調不良を聞いたことがありませんでしたので大変驚いています。彼は大手ツァーガイドの会社に所属して主として海外登山のガイドを務め、キリマンジャロには50回以上登ったと言っていました。最近は一線を退いて活動の場を国内に移していましたが、健康面・体力面には自信を持っていたのではないかと思います。

時折帰省した時には顔を合わせる機会もありましたが、例年6月初旬には海外遠征中に雪崩事故で亡くなったメンバーの追悼登山があり、最近はそこで会うことが多くなっていました。私も例年参加していたのですが、今年は都合がつかず参加できませんでした。昨年の追悼登山で会ったのが、残念ながら最後の登山となってしまいました。合掌。

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2006年に遭難して行方不明になった友人の捜索に当たった時の集合写真。右から二番目で腕を組んでいるのが故人です。

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2018年6月13日 (水)

またも文化2年創業の老舗を発見

先日、京都銘菓八ッ橋を巡る騒動に関して、和菓子舗の創業年について記事にしましたが、新たに1店を見つけてしまいましたので、性懲りなく紹介します。

今回見つけたのは東京亀戸で文化2年(1805年)からくず餅を販売している船戸屋です。船戸屋のくず餅は、一般的な葛粉を使ったものとは違い、小麦粉を練った生地を発酵させて使っているのが、大きな特徴です。甘味付けに黒糖と共に黄粉を使っているようですが、黄粉には白砂糖が使われているものと思われます。船戸屋のHPはこちらです。 ↓

http://www.funabashiya.co.jp/sph/

船戸屋は亀戸天神の参拝者向けに店を開いたのが、創業のきっかけのようですが、これは八ッ橋、伊勢の赤福、福岡の梅ヶ枝餅のいきさつとよく似ています。但し、梅ヶ枝餅については創業からの店は現存していないようで、現在は「名物」と呼ぶことで本家争いを避けているそうです。

それにしてもまたしても文化2年です。砂糖の普及の影響が大きいのでしょうが、何故に文化2年なのか?もう少し歴史の勉強が必要なようです。

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餅のお菓子と言えば桜餅がありますが、こちらは桜餅用の桜の木を栽培している畑です。

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2018年6月12日 (火)

山間の棚田

最近棚田が注目されています。棚田は平坦地の少ない山間部などで、斜面を少しずつ階段状に畔を作って切り開いた田んぼです。一枚当たりの面積が小さいことから機械化が難しく、農家の高齢化と共に耕作放棄されることが多くなっていましたが、近年になって文化遺産的な意味合いや、観光地としての価値が見直され、景観の保持のために耕作が復活される所が増えています。

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ここも、そのような棚田の一つで、伊豆の松崎町にある石部(せきぶ)の棚田です。この付近は平坦地が少なく、このような山間に棚田が開かれました。現在は有志多数によって稲作が行われています。

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棚田の最上部です。まさに猫の額ほどの面積ですが、一粒でも多くとの、米作りに向けた当時の人々の熱い思いが伝わって来ます。

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2018年6月10日 (日)

蛍を見たい

若い頃、山からの帰りに仲間と車で走行中、闇の中に乱舞する無数の光と遭遇して、思わず車を止めました。よく見ると水田の上を沢山の蛍が飛んでいる幻想的な風景でした。写真で良く見る光の軌跡が縦横に走っている様そのままの光景でした。

このことはいつしか記憶の中に埋もれてしまいましたが、ある時ふと思い出して再びその場所を訪ねましたが、残念ながら蛍の姿を見ることはできませんでした。その後、京都に単身赴任した際に、哲学の小径脇の水路で源氏ボタルが見られると聞き、夢よもう一度と行ってみましたが、数匹が水面の上を行ったり来たりしているだけで、乱舞とは程遠いものでした。

蛍の出現には時期や時間、気象条件が微妙に関係するようなので、最初に見られたのも非常な幸運に恵まれたからかも知れませんし、上手く見られなかった時も、たまたまタイミングが合わなかっただけなのかも知れませんが、正直、そこまでの情報は持ち合わせていないので、本当のところは判りません。

そして昨夜、とある情報を元に、蛍が見られると言う場所に行って来ました。そこは道路に面した場所なので、条件は良くありません。あちこち移動して探してみましたが、数匹以上の蒸れには出会えません。やみくもに周辺を探索していると、闇の中に灯火動いているのを見つけました。本当は蛍の観察に灯りは厳禁なのですが、とりあえず、その方向に行ってみました。

いました。山側の斜面に数匹の蛍が草に止まって光っています。更に進むと数匹が宙を飛んでいました。更に良く見ると、水辺の草に沢山の蛍が止まっていて、あちこちで点滅しています。飛んでいる蛍が少ないのは灯りに驚いてしまったせいなのか、時間が遅いためなのかは判りませんが、それでも数十匹単位の蛍がいたのは間違いありません。

今回も蛍の乱舞をみることは叶いませんでした。まるで、あの時見た幻想的な光景があたかも蛍のはかない光のように、淡い一時の幻だったかのようです。

記憶の中に後年になって、あの時のあのような光景を見てみたいと再びその場所を訪れましたが、蛍を見ることできませんでした。

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2018年6月 7日 (木)

老舗菓子舗の創業は何故文化年間か?

昨日の続きです。京都の八ッ橋の老舗「井筒八つ橋」の創業が文化2年(1805年)、静岡の安倍川餅の石部屋(せきべや)の創業が文化元年(1804年)といずれも1800年代の初頭となっています。これには何か理由があるのではないかと調べてみました。

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かつてお菓子の原料である砂糖は貴重品だったとの話を思い出し、その歴史を調べてみました。すると、1623年に沖縄に中国から黒糖の製法が伝わるまでは全て輸入によって賄われていたことが判りました。これでは大変高価になっても不思議ではなく、庶民には高値の華であったことが、容易に想像されます。そのような中で我が国最初の練り羊羹が1589年、京都伏見の「鶴屋」によって開発され、秀吉に献上されたと言うことです。この時、甘味料として使われたのは砂糖ではなく、甘葛(あまづら)と呼ばれる蔓から抽出されたものでした。

羊羹については有名な「虎屋」は室町時代後期に京都で創業したとされ、1635年の注文書には羊羹が載っていることから、この頃既に羊羹を製造していたものと見られますが、鶴屋が開発したのと同様の製法だったのではないかと思われます。また、静岡市清水区の「追分羊羹」も寛文年間(1661~1673年)の創業とされています。

江戸時代に入り、経済が発展して庶民の生活も向上する中で砂糖の需要も増え、8代将軍吉宗は享保の改革(1716~)でサトウキビの栽培を奨励しました。したがって1716年以降に黒砂糖の生産が増大したものと思われます。あんこを使用した伊勢名物の赤福餅は、文献に初めて登場した1707年(宝永4年)を創業年としていますが、当初は砂糖が貴重品だったので今とは違い塩味の餡を使っていました。その後黒砂糖の生産が増えて価格もこなれて来たからでしょう、次第に黒砂糖に切り替えられたそうです。

サトウキビは主に沖縄や奄美地方で栽培されていましたが、やがて四国でも栽培されるようになり、更に北限とされる静岡県の西部、横須賀でも栽培されるようになりました。四国の阿波、讃岐では1700年代末までに、黒糖を精製して白い砂糖である「和三盆」(わさんぼん)の製造に成功し、更には横須賀にも伝わり、「横須賀しろ」として特産品になりました。ちなみに讃岐の和三盆の老舗である「三谷製糖羽根さぬき本舗」の創業は文化元年(1804年)です。

1800年前後に和三盆の製造が開始されたことから和菓子の製造に大きな影響を与え、多くの菓子舗が創業したと考えるのが自然です。勿論、「聖護院八ッ橋総本家」が輸入の砂糖や、甘葛を使って八つ橋を製造していたことも否定はできませんが、それを証明するものが一切残っていない以上、事実と認められないのは仕方ありません。

今日では肥満の元凶として、あまり良い印象を持たれない砂糖ですが、歴史的には様々なドラマを繰り広げていたことが判り、大変興味深く思いました。

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2018年6月 6日 (水)

京都で八ッ橋騒動

京都みやげと言えば、すぐに思い浮かぶのが「八ッ橋」です。もっとも最近では餡をくるんだ生八ッ橋の方が人気があるようです。現在15社が八ッ橋を製造販売しており、業界団体として京都八ッ橋商工業組合があります。5日、この銘菓八ッ橋の創業を巡って創業1805年の「井筒八つ橋」が不当表示だとして、「聖護院八ッ橋総本家」を京都地裁に訴える騒ぎとなりました。

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八ツ橋の起源については、琴の名手だった八橋検校にちなんで琴の形をモチーフに作られ、検校の名前を取って八ッ橋の名前になったとの説がありますが、良く判っていません。ところが、有力メーカーの一つである「聖護院八ッ橋総本家」が、創業を元禄2年、1689年としてホームページなどに記載していました。「聖護院八ッ橋総本家」は創業に関する資料については一切明らかにしていません。これに対し、京都八ッ橋商工業組合は根拠がないとして記載を取り止めるように要求し、2017年には京都地裁に中止を求めて仲裁を申し立てましたが、聖護院側の不同意によって物別れに終わっていました。

1689年創業説は、もう一社、「聖護院八ッ橋総本家」の向かい側で営業する「本家西尾八ツ橋」も1689年創業を謳っており、その根拠として文政7年に熊野神社に奉納された絵馬に「八ッ橋屋為治郎」の名があることを挙げていますが、文政7年は西暦1824年で、「井筒八つ橋」が主張する1805年よりも19年も後なので、創業を裏付ける資料としては役に立たない気がします。

さて、実はこれに似た話が、当地静岡県にも存在します。それは安倍川餅です。安倍川餅は静岡市の名産として広く知られていますが、発祥は慶長年間(1596~1615年)と言われています。安倍川餅に関しても、家康や綱吉が好物だったとの話があったりしますので、東西を問わず有名人にあやかりたいのは同じかも知れません。現在、安倍川餅の元祖を名乗っているのが創業が文化元年(1804年)と主張している「石部屋」(せきべや)です。発祥が慶長年間であれば、それから200年ほど経ってから元祖を名乗るのも、いかがなものかと思いますが、老舗であることは確かです。

それにしても発祥が江戸時代前期でありながら、今に残る業者の創業が文化年間と言うのは何か訳がありそうで、興味をそそられます。

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2018年6月 4日 (月)

二重投稿

昨日の記事が二重投稿になっていました。実は、帰宅してから色々と悩みながら記事を打ち込んで、さあ投稿となった時点でPCがフリーズしてしまい、しばらく様子見したのですが、投稿に失敗したと判断されたので、がっかりしながら記憶をたどって再打ち込みをして投稿したら、今度は一回で成功しました。それ以降、確認をしなかったのですが、時間を置いてチェックしたら何と最初の記事もアップされていましたので、最初の方を削除しました。

以前も同じようなことがありましたが、最近はPCのせいなのかフリーズが多発して困っています。いつも、下書きなしで直接打ち込んでいますので、細かい言い回しが違ったり、論点が変わってしまうように見えることがあるかも知れませんが、このような事情なので、どうかご理解の上、ご容赦頂けますようお願いいたします。

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