ついつい行きそびれていましたが、やっと 劔岳 点の記 を観て来ました。市内のシネマコンプレックスでしたが、平日の午後だったので観客の入りは良くありませんでした。そして気のせいかも知れませんが、残念ながら画面の解像度が良くなく、公開前のイベントで上映された映像と比べると明らかに劣った画面に思えました。もしかしたら映写機のピントが合っていなかったのかも知れません。
で、感想ですが、 ん~ッ。 (^-^;
山岳が舞台の映画として見ればそれなりに楽しめると思いますし、合格点だとは思います。事実2時間19分を飽きさせることはありませんでしたが、正直題材が未消化の気がしました。言ってみれば超一流の素材の山にほれ込んだ料理人が、調理方法を決めかねてあれもこれもと料理を作ってしまいコースとしてのまとまりを欠いてしまったような気がします。マナーとしてあまりストーリーを明らかにしないほうが良いのでしょうが、物語の核心である劔岳への三等三角点の埋設を登頂の困難さから断念し、埋設を伴わない四等三角点での測量を決断するくだりが描かれていなかったように感じられたのでは画龍点睛を欠いたと言われても仕方ありません。伏線としては資材の調達時に四等三角点の手配を依頼しているだけにもう少し詳しい描写が求められます。
点の記が記録されるのは三角点が埋設される三等三角点以上ですから映画のタイトルの劔岳 点の記はあくまでも当事者の心の中だけにしか存在しないものだったのです。彼らはヒーローとして描かれていますが、決してスーパーマンではありません。測量官として埋設を断念しながらも使命を達成するまでには幾多の葛藤があったことが想像されますが、それは省略可能なエピソードではなかった筈です。
前評判が高すぎたきらいがありますが、名カメラマンと言えども第一作目で即名監督とはいかないのは仕方ないことです。仮の話ですが、違う監督が編集すればまた違った味わいの出来栄えになったように思います。
またこれはどうでも良いことですが、映画はあくまでもフィクションですから実際の史実と違う点もあります。測量隊の登頂と頂上からの測量が同日内のこととして描かれていますが、側手の生田信が先遣隊として7月13日に先に登頂し、柴崎芳太郎が登頂、選点(測量)したのは7月28日であったことがわずかに残された資料から判明しています。これは7月13日は梅雨の末期近くであり、周囲の山が見渡せて測量が出来るようになるまで天候待ちを強いられたためと思われます。ちなみに日本山岳会隊が登頂したのは1909年ですが、宇治長次郎が自ら案内して長次郎谷からであったと言うのも因縁深い話です。
柴崎は劔岳の標高を当時の技術で2998mと測量しました。2004年に百年越しの三等三角点埋設後にGPSを用いて行った最新の測量の結果では三角点の標高2997.07m、最高点2999m(2998.6mを四捨五入)でした。100年前の貧弱な装備と機材で測定した数値としては驚異的な精度であったと言わざるを得ません。
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