2012年2月 2日 (木)

やしきたかじん病気療養で活動休止

タレントとして関西地区で圧倒的な人気を持つ歌手のやしきたかじんが、所属事務所を通じて初期の食道ガンであることを公表し、治療のため活動を休止すると発表しました。東京周辺の人にはあまり馴染みがないかも知れませんが、関西地区では冠番組をいくつも持ち、視聴率男としてテレビ界に君臨している存在です。
かつて自身が出演した際の在京のテレビ局の出演者に対する姿勢を批判して、東京地区の番組には決して出演していませんし、他の地区で高い視聴率を記録している「そこまで言って委員会」の関東地区での放送は絶対に応諾しない頑なな姿勢を取り続けていることも良く知られています。

私生活では並はずれた酒豪として知られていますが、その酒量が禍した可能性は高いのではないでしょうか。サザンの桑田佳祐も食道ガンで胃の摘出を受けていますから、同じような手術になるのかも知れません。いずれにしても類稀な才能を持った歌手なので、全快して早期に復帰して欲しいと願っています。

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2011年8月23日 (火)

島田紳助突然の芸能界引退

タレントの島田紳助が、数年前に暴力団関係者と交際していたとされる問題で、突如芸能界を引退することを発表しました。彼は以前にも所属事務所の職員に対する暴行問題で、一時芸能活動を中断したことがありましたが、55歳と言う若さで芸能界を去ることになります。本人の会見だけでは事の真相は分かりませんが、もし黒い交際が事実だとすれば非凡な才能の持ち主だけに、軽率な行動が悔やまれます。

吉本興業では、以前も暴力団関係者と交際があるとされる漫才タレントが話題になりましたが、今回の騒動を機に各自が社会的責任について身を正すことが必要ではないでしょうか。

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2011年8月 5日 (金)

前武さん、さようなら

放送作家から一躍人気司会者となり、ラジオ、テレビ界で一世を風靡した前田武彦氏が亡くなりました。一般にはゲバゲバ90分や夜のヒットスタジオでお馴染みだと思いますが、私にはラジオのフレッシュイン東芝ヤング・ヤング・ヤングが思い出深く残っています。この番組では妙齢(死語ですかねぇ)のアシスタント相手に軽妙なトークを繰り広げ、当時の若者達に絶大な人気がありました。この番組でスポンサーである東芝が当時の最先端技術ICを搭載したラジオ「IC-70」のCMを流していたのが今でも鮮明に覚えています。ちなみに「IC-70」の70は70年代の70でした。

前武氏は人気番組笑点の初代司会者、立川談志が突然降板した時に立派に2代目司会者を務め上げ、現在も使われているオープニング曲の作詞もしています。前武氏は作詞の方面でも結構足跡を残しており、映画評論などと共に多才ぶりをいかんなく発揮していました。ただ、残念なことに番組中に個人的な政治信条を発言したことが放送界では問題児とされてしまい、晩年は活躍の場が制限されてしまったことは大変残念です。謹んでご冥福をお祈り致します。

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2011年4月24日 (日)

柳家小さん

5代目柳家小さんが逝って早9年、いつかは小三治が6代目を襲名するものと思っていましたが、不明を恥じるばかりでした。先日何気なく見ていたテレビで「一人酒盛」を演じていた噺家が柳家小さんになっていてびっくり。早速調べてみると既に2006年に5代目の実子である柳家三語楼が6代目を襲名済みだったのです。実力を高く認められる小三治ほどの噺家が何故襲名をためらっているのかと今まで疑問に思っていましたが、これで謎が解けました。

先代が芸達者だった場合、跡を継ぐものの宿命として常に先代と比較されます。最近の例ではちょうど6代目を継いだ圓楽の例がありますが、私には未だに楽太郎としか受け止められません。6代目小さんも大名跡を継いだ苦労が付きまとうのでしょうが、襲名を辞退した小三治の心意気を汲んで先代を超える噺家を目指してもらいたいと思います。

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2010年10月30日 (土)

野沢那智死す

テレビドラマ、ナポレオンソロでのイリヤ・クリアキンの声は忘れられません。ご冥福をお祈りします。

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2010年9月13日 (月)

改めてクレージーキャッツを想う

クレージーキャッツの一員だった谷啓が急逝しました。最近ではNHKの「美の壺」に出演して味のある語り口を好演していましたが、やはり年齢によるものか少し痩せた感じがしていました。そしてその後、草刈正雄に交代してからはその姿を見ることはありませんでしたが体調不良で自宅で静養していたようです。

このようなことになって各局から在りし日の映像が紹介されましたが、これまでハナ肇、植木等の陰に隠れた第三の存在との認識でしたが、パワフルな谷啓の存在の大きさを再認識することとなりました。一流のトロンボーン奏者でありながら、コメディをこなし、かつ俳優やトークにおいて少しの嫌味も誇張もなしに十分な存在感を示すのは稀有な才能だったと改めて知らされた思いです。

これは図らずもクレージーキャッツ全体に言えることですが、今から思い返してもすごいとしか言いいようのないグループでした。スタートはジャズバンドでしたが、メンバーすべてが一流のプレーヤーで演奏だけでも大したものでしたが、「シャボン玉ホリデー」でいかんなく発揮された洗練されたエンターテイメントは今なお越える者がない存在でした。殿様キングス、ドンキーカルテット、ビージーフォーと音楽とギャグを売り物にしたグループはいくつもありましたが、すべてにおいてクレージーは別格でした。

60年代、NHKは「夢であいましょう」にデュークエイセスや坂本九、梓みちよや九重祐美子と言ったメンバーを起用し、今思い起こしても素晴らしく良質なバラエティ番組を作りましたが、クレージーキャッツとザ・ピーナッツが出演した「シャボン玉ホリデー」も双璧とも言える素晴らしい番組でした。どちらも若い才能を登用した素晴らしい番組でしたが、シャボン玉で作家として活躍した青島幸男や前田武彦がその後大ブレークしたのも番組の持っていた大きなエネルギーの故ではなかったかと思われます。

昨今タレントと称する薄っぺらなテレビ演者が多数存在しますが、クレージーキャッツこそが才能あふれる者達の集団、「芸の壺」だったんだなと改めて思い知らされました。残るメンバーは犬塚弘、桜井センリの2人だけになってしまいましたが、この素晴らしいグループを何時までも語り続けていって欲しいものです。

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2008年10月 3日 (金)

蛙の子は蛙?

2世議員が話題となっています。世間の厳しさに揉まれることも無く、政治家の家に生まれただけで能力に関係なく世襲で議員となることに世間の視線が厳しくなっていますが当然です。

スポーツでも芸能でも実力者の子供と言うだけで通用する世界はありません。俗に言う親の七光りが一時あっても実力が伴わなければ何時までも通用するほど世間は甘くありません。私の好きな噺家に桂米朝がいます。さすがに最近は高齢となって往年の語り口は望むべくもありませんが、あの独特の間の取り方は何とも言えない味がありました。先日米朝の息子の小米朝の噺を聞く機会がありました。タレントとしては父親譲りの洒脱な喋りが出来るのですが、残念ながら本業の方はちょっといただけませんでした。明日10月4日に5代目米団治を襲名するそうですが、より一層の精進が求められます。

関東では三遊亭楽太郎が6代円楽を襲名予定ですし、兄弟子鳳楽は師匠円楽から時期は未定ながら大看板円生襲名を許されています。また故林家三平の次男一平が父三平を襲名することになっています。襲名披露時には誰もが由緒ある名前を汚さぬように努力、精進する旨を口にしますが名前負けしないように大いに頑張って欲しいものです。

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2007年7月23日 (月)

いい歳をして

最初に尾崎豊を知ったのはドラマ「北の国から」でした。主人公「純」がはまっているアーティストとして彼が取り上げられました。劇中で流れたストーリーに溶け込むような、「I LOVE YOU」の何とも言えない歌詞が鋭く胸に突き刺さりました。後日、卒業、15の夜等の作品があることも知りました。尾崎が世を去った時、純を演ずる吉岡秀隆がプライベートでも尾崎と親密な交友があったことを知らされて、大いに驚かされました。

何年か後、尾崎の有明コロシアムでのライブの映像を目にして彼のカリスマにまで崇められた人気の理由が初めて判った気がしました。既に何年も前の映像なのにリアルタイムのような不思議な感覚に襲われたのを昨日のことのように覚えています。そして昨日、取り貯めてあったビデオ映像の中にまだ見ていなかった彼のライブを特集した番組があったのを見つけました。夜11時過ぎのことでしたが、再生ボタンを押してしまいました。全部見終えると軽く1時半は回ってしまいます。しかし最後まで停止ボタンを押せず、彼の歌に引き込まれてしまいました。死後15年を経て今尚新しいファンを生んでいる尾崎豊、改めてすごいアーティストだったと再認識させられた夜でした。

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2007年2月26日 (月)

円楽引退

三遊亭円楽が一線からの引退を表明しました。脳梗塞で倒れて以来、いつか高座に復帰するものと思っていましたが、引き際を潔くしたいとの本人の希望で引退の表明となりました。多くの噺家が意志を表明すること無しに他界している事を考えると、これはこれで重い決断と言えるでしょう。

若手時代は星の王子様のキャッチフレーズで一世を風靡しましたが、師匠の円生が落語協会を脱退してからは、定席を失いながらも円生を助けて一門を纏め上げました。私はこの時代の円生、円楽の生の高座を聞く機会を得られたことを大変に幸運だったと思っています。こんな事情でも無ければ、名人円生が地方都市の市民会館で高座に上がることなど無かったと思うからです。

その後も若手の芸の発表の場として自ら立ち上げた寄席「若竹」の失敗や、日航機の墜落事故で客室アテンダントをしていた妹さんを亡くすなど私生活での苦労も多かったようですが、伝説の名人達と新進の若手をつなぐ橋渡しの役割を果たしてきたように思います。出来れば思い直してもう一度高座に上がる日が来ることを願っています。

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2007年2月19日 (月)

オヤジのぼやき

最近芸能人や有名人が結婚式を挙げることを挙式という言葉で表現することが耳障りに感じます。他人事とは言え、慶事なので目くじらを立てることはないのですが、テレビ局のアナウンサーまでが、「挙式を挙げる」、「挙式を行う」などと言い出すと「結婚式を挙げる」、「式を挙げる」、「挙式する」じゃないのかとツッコミを入れたくなるのは私だけでしょうか?

本来否定の言葉であるはずの全然を肯定の意味で使うことも、芸能人(これもギョーカイと言うのが流行りらしいですね)の証のように思われているようですが、ちょっとどうかと思います。奇をてらうことで注目を集めたいのは判りますが、もっと普通の言いまわしで感心させて欲しいものです。

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