2018年2月20日 (火)

パイプオルガンの調べを聴きに

最近はちょっと下火になってしまいましたが、一時バロック音楽が流行った時がありました。私が以前勤めた企業がバロックの楽器であるチェンバロやリコーダーを製造していたこともあって、バッハやモーツァルトなどを中心に聴いていました。中でもパイプオルガンは発音の原理が大変科学的で、その幅広い音色の虜となっていました。

私が住む浜松市内にもパイプオルガンが設置された場所がいくつもありますが、そのひとつがアクトホールです。アクトホールは1994年に完成していますから、できてからもう24年も経つのにこれまで一度もその音色を聴いていませんでした。ところが縁と言うものは、面白いもので、ひょんなことからパイプオルガンのコンサートに行くことになりました。浜松で活動しているドルチェウインドオーケストラのスプリングコンサートにオルガニストが共演する催しだったのですが、これまで気にしながら聴いたことがなかったパイプオルガンを聴きに行って来ました。

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開演前にスマホで撮影したコンサート会場。手ブレが酷いのはご容赦ください。興味がある人はアクトホールのHPできれいな写真をご覧ください。

パイプオルガンは多彩な音色を出すことが可能で、一人の演奏者でもオーケストラに匹敵する演奏が可能と言われていますが、この日は多くの管楽器が大音量で奏でる中での演奏でしたので、ちょっと音量の点で苦しかったかもしれません。それでも演目の一つ「オペラ座の怪人」は、旋律と音色が絶妙の味を出して、流石パイプオルガンと納得の音でした。ただ、期待した重低音はこちらの聴力が衰えたせいか、思ったほどではありませんでした。

最近生の演奏を聴く機会があまりありませんでしたので、久々のコンサートで沢山の刺激をもらいましたが、コンサート終了後にロビーで知人とバッタリ出会ってびっくり仰天。コンサートにおまけまで付いて充実した一日になりました。

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2010年3月11日 (木)

トイレの神様

歌手、植村花菜が自身と祖母との交流を物語風に曲にした「トイレの神様」が話題となっています。初めてタイトルを見た時には、キワドイ歌の類かなと思っていましたが、様々な人の感想からは中々の秀作であることが予感されました。

この曲は10分近い長さのため、テレビでは全曲を流すことはないようですが、今日ラジオで初めて全曲を聞きました。そこには最近の殺伐とした世間とはかけ離れた、まるでドラエもんに出て来るのび太とおばあちゃんのような心温まる世界、作者が心やさしい娘に育つよう愛しんだおばあちゃんと孫の世界を見事に歌い込まれています。

おばあちゃんと孫の楽しい生活。その後月日は流れていつしか孫はおばあちゃんから離れて上京してしまいました。病に倒れたおばあちゃんを久しぶりに見舞った翌日、おばあちゃんは静かに遠い所に旅立ってしまいました。
作者は今日もきれいな娘になれるようトイレ掃除に精を出しています、おばあちゃんに心からありがとうを言いながら。

いい歌だと思いますので、是非一聴をお薦めします。

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2009年11月 1日 (日)

イムジン河ふたたび

加藤和彦氏の追悼番組として今日、NHKのBSで2002年収録のフォーク・クルセダーズの新結成記念解散コンサートが放送されました。加藤和彦、北山修と応援メンバー坂崎幸之助により懐かしいフォークルの曲の数々を久し振りに「オリジナル」で聴くことが出来ました。中でもイムジン河はオリジナルバージョンの他にハングルへ逆訳詞したものと新たに作った歌詞を加えたイムジン河~春~バージョンが演奏されました。加藤氏、北山氏ともこの曲に対する思いは余人には到底判らない程深く、複雑なものがあるはずなのに、両氏とも実に淡々と歌っている姿に思わず涙してしまいましたが、これほど数奇な運命をたどった曲も珍しいのではないでしょうか。

イムジン河は若者による日朝の融和、南北朝鮮の平和的統一を願った曲だったのですが、政治状況に翻弄され、多くの人に望まれながら作詞の松山猛氏の純粋な思いは中々世の中に認められませんでした。2004年制作の井筒和幸監督の映画バッチギによって改めて日の目を見ることになりましたが、おそらくこのコンサートが何らかのトリガーになったのではないかと思います。

加藤氏が鬼籍に入ってしまった今、二度とあの歌声をステージで聴くことは出来ません。しかし、いつかイムジン河が自由に行き来出来る河になった時、千の風になった加藤氏が歌うイムジン河をきっと耳にすることが出来るのではないかと思っています。

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2009年4月24日 (金)

MD再び

MDと言えば最近ではミサイル防衛の方が通りが良くなってしまいましたが、ミニディスクの方の話です。15年ほど前、自前の音楽録音ツールとしてMDを楽しんでいました。当時は今のようにCDへの録音が一般的でなかったことや所有していたテープデッキが老朽化してレコード盤からの録音手段としてはMDしかなかった事情がありました。MD搭載のコンポで録音して携帯プレーヤーで通勤時に聴いたり、FMトランスミッターを使用してドライブ中にカーラジオで楽しんでいました。当時のCDは振動によって結構音飛びがあったりしましたが、MDは一旦メモリーに蓄積するのでその心配がなく、またディスクが小さいので車での使い勝手は良いものでした。

しかし、SO○Y製のコンポは結構な値段の割にちょくちょく壊れてくれたことや、年齢的にか新規のCDをあまり購入しなくなって、いつしか音楽を楽しむことから遠ざかってしまいました。ところが先日部屋の整理をしていたところ、仕舞い込んでいたMDを見つけ、当時を思い出してしまいました。手書きのラベルも少し薄れているものもありますが、経年劣化しないのがデジタルソフトの利点です。懐かしさ一杯ですぐにでも再生したかったのですが、世間はMP3プレーヤーの時代で現在再生出来るプレーヤーがありません。仕方がないので、MD機能の付いたお手軽ミニコンポを購入してしまいました。

早速再生してみると、うーん懐かしい。最近は懐かしの廉価版CDも販売されていますが、自分で作ったディスクは選曲も自分好みですし、思い出が詰まっています。レコード→テープ→MDとダビングされたものもあり、音質的には苦しいものもありますが、音を楽しむのではなく、曲に重ね合わせた思い出を楽しむのだと思えばそれなりに楽しめます。かつてMDと覇権を競ったDAT(デジタル・オーディオ・テープ)は残念ながら現在では再生出来るハードが見当たりませんが、今でも再生装置(録音も可)が入手出来るMDは恵まれた記録媒体と言えるのかも知れません。

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2007年1月10日 (水)

それぞれの「千の風になって」

作家、新井満氏が訳詩、作曲した千の風になってがファン層を拡大しているようです。昨年の紅白歌合戦で秋川雅史氏が歌って好評を博し、新井版、秋川版共にCDの売れ行きに改めて火が着いたようです。最愛の人を亡くした何とも言えない空虚感を、思いやりの言葉でやさしく包むような歌声に多くの人が涙を流しています。

私は昨年の春に不運な事故で古くからの友人を亡くし、空しい想いをしていた時にこの歌にめぐり合いました。どんなに偲んでも、決して帰ることのことの無い人のことをそれでも思い出してしまうのは本当に苦しいことでした。

♪私のお墓の前でなかないでください~♪やさしく美しいメロディと深い思いやりの歌詞が心に染み渡りました。多くの同じような思いでいた人たちも、それぞれに感じるところがあったのでしょうね。いつまでも聞く人の心に残る名曲だと思います。できれば、商業主義とは無縁な形で広まって、より多くの人を癒して欲しいものだと思います。

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2006年11月14日 (火)

青春の光と影

Pb040018_1最近テレビのCMで懐かしい音楽を耳にしました。60年代後半から70年代前半にかけてジュディ・コリンズが歌って大ヒットした青春の光と影です。同名の映画の主題歌だったようですが、映画には全く興味が無く未だに見ていません。

ジョーン・バエズやPPMに勝るとも劣らない、彼女の美しい高音のこの曲を聞くと当時のことが思い出されて胸が締め付けられる思いです。太宰治に傾倒したりして人生を否定的に見ていた当時の私にとって自分の思いを代弁しているように感じたこの曲によって、どれほど癒されたか判りません。夢見て夢破れ、そしてそれでも人は生きていくんだという思いもまた強くしたような気がします。先日放送された拓郎とかぐや姫のつま恋コンサートでエネルギーを充電した中年オヤジが多いことと思いますが、この曲も負けず劣らずエネルギーを与えてくれました。

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